15 . 常識が人を三日月にする 12

 

(K)子どもを見ると生意気に思ってしまう。

 

 

(佐藤康行)だから先生とか親は無意識に「自分の方が上」と思っている。「自分より上にいっちゃ困る」とも思っている。だからこれが面白くないからつぶすわけです。

 

 

(K)上にいっちゃうと自分の存在価値が無くなってしまうから。

頭が良い子がいる。態度が大変で親もどうしていいかお手上げで悩んでいる。

 

 

 

(佐藤康行)そういう子を生かす、そういう人間関係は性善説性悪説になってくる。人間を善で捉えるとか、悪で捉えるか。人間関係とか教育とかそういうものは全部善で捉える。しかし、システムは悪で捉える。規律とか約束事とか。法律とか警察とかも悪から捉えている。家にカギを掛けるのも泥棒が入るかも知れない、金庫にカギを掛けるのもとらえれたら困る。でも金庫も家の錠も人間ではないから。だから法律も人間では無い。それは性悪説でやった方がいいわけ。

真我から見たら悪も善も同じ。なぜならば悪を起こさせないための善の心からカギを閉める。自分も取られたら相手を恨む可能性があるから。

システムは悪でやって人間関係は善でやる。この二つを使い分ければ、ということ。

子どもだってとんでもない殺人をおかしちゃまずいだろうし、きちっとそこは作ってそれ以外は善でやる。思いっきり信頼してあげる。