148 啐啄同時

学校教育現場では雪崩のように指導文書が降ろされてくるので多すぎて手のつけようがなく、とにかく資料を教え込んでいくことになるわけですが、でも、それにも意味があったという学長のお話です。

 

昨日の続きです。

 

 

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(受講生)文科省から全部下りてきます。「こういう指導してください」って。

 

(学長)でも、薬物もあれしてやってる。

 

(受講生)でも、でも、やっぱりそうなんですね。

 

(受講生)なかなか**。

 

(学長)すごいね。

まるで私のを見て言ってるのかね。

それはすごいわ。

これもね、啐啄同時だよ。すごい、それ。

 

(受講生)でも、それを対応するところはないから、ブログを書いて。言ってたのは、ブログがいいのは、全部あからさまにするのがいいんですって。小出しにして、「詳しい所はここへ」と言うとあれなんで、「こうなりました」って、本当に来たい人は「ここどうぞ」とやってあげると、ものすごいアクセス数も伸びるし、そこに駆け込み寺として、受け皿として作ってあげると、ものすごい**。

 

(学長)いいねえ、いいねえ。

 

(受講生)この間、3次元でどう発信して、どう生かすかというのを1秒も寝ずに。

 

(学長)素晴らしい。

 

(受講生)そのコンテンツを作ってやろうかなという。競争相手もいないので、そんなこと言ってる人がいないので。治ると思ってない。でも、調べれば調べるほど、そういうことばっかりが出てくるんですよ。「治りません」ということが。お医者さんが診断して、今度は外科手術をして。でも、言ってみたら、癌でどこも悪い所がないのに切ってるのと一緒の話なんで、そういう性転換というのは。

 

(学長)去年ね、癌の人と何人か面談したんです。

去年の12月かに面談して、今年いっぱいの命だったはずの人と、今度3月にアポイントを取ってるんです。

本当はもう死んでるはずの人。

そういうことをやるんですよ。