183 自分の親切でやることの弊害!?

2016年から2017年にかけて、数名の受講生と佐藤康行学長と「満月教育研究会」を発足しました。

 

このブログでは、その時の記録をシリーズとしてお届けしています。

 

出来るだけ個人的な意見を交えず、その時の記録をご紹介していきます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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(受講生)手の差し伸べ方。例えば、転んで、今の例ですけど。その子供の状況にもよりますよね。障害を持ってるだとか、性格的なものとか。

 

学長)そうね。それには聞くのがいいんですよ。私は障害になったから、よく分かりますよ。それをちゃんと調べないでやっちゃうと、逆に危ない場合がある。バーッと慌てて私んとこ来たら、「おお!」ってことが何回もありました。その人の思う親切でやっちゃう。

 

「右手を支えたらいいですか? 左手を支えたらいいですか?」「体をこうやって組んだらいいですか? それとも、肩を貸したらいいですか?」というふうに聞いてくれれば、「ああ、こういうふうにやってほしいよ」と言えるでしょう? その人じゃなきゃ分からないニーズがあるわけ。

 

いろんな人がいますよ。車乗ってると、憐れみを持ったようなしゃべり方する人もいるし、まるで子供にしゃべるような言い方する人もいる。「あんよ」までは言わんけどね、それに近い状態で。

 

そうなったら何かね、まるで人間として駄目みたいなようなしゃべり方をする人もいるんです。いるんですよ、ほんとに。赤ちゃん言葉、最初の頃、よく看護婦さんなんかに言われてた。「そうよ。はい、足ね」ってさ。でも、こっちは普通の大人なんです。体が不自由だと、そのように見えちゃうんだろうね。