203 満月が反射してくる

 

2016年から2017年にかけて、数名の受講生と佐藤康行学長と「満月教育研究会」を発足しました。

 

このブログでは、その時の記録をシリーズとしてお届けしています。

 

出来るだけ個人的な意見を交えず、その時の記録をご紹介していきます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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(学長)具体的な戒律を作ってあげる。はい、どうぞ。何かあったら、どうぞ。戒律はね、あんまりいっぱいないほうがいいのよ。だいたい三つぐらい「ポン、ポン、ポン」ってやると、思いっきり真我でぶれないでできる。あまりにも今まで自由にやらせすぎたからさ。真我は内なる神だから、これ以上のことはないんですから。そこんとこに焦点を絶対狂わせないようにする。

 

 

(受講生)それは1人1人違うっていう話ですか。

 

 

(学長)共通したものを。11人私が全部やるわけにはいかないから、誰しもがぶれそうな共通した部分を出してあげる。

 

 

(受講生)「自分を責めない」とか。分かんない、あはは。

 

 

(学長)いや、全部真我だから。「責めない」と言った瞬間に、もう三日月を前提としてるでしょう? だって満月の自分を、また相手を見たら、責める必要ないんだから。最高なんだから。「責めない」というと、もうすでに自分を「三日月で」となってると思うよ。例えば、「相手を責めない」というより、相手の満月だけを見たら、責める必要ないじゃない。相手の満月だけ見てるんだから、責める必要ないでしょう? 相手の満月だけ見たときに、相手からその満月が反射して返ってくるわけ。そうすると、満月同士が反射し合って三日月が消えていくわけ。分かりますかね、言ってる意味。

 

 

(受講生)Nさん、私に言ってくれましたよ、メールで。「真我」で言ってくれました。私が子供に対してやっぱりどうしても三日月、子供の言動に振り回されるので、「真我だけ見てたらいいんだよ。言葉遊びしてるだけかもよ」と言って。要は、満月と真我は一緒ですよね?

 

 

(学長)うん

 

 

(受講生)で、メールくださって、次の日同じようなことをしても本当にぶれなかった、動揺しなかったんですよ、言ってくださったんで。だから、すごくいいなと。子供の表面の行動とか言ってることじゃなく、真我だけ見てたら。「言葉遊びしてるだけかもよ」と言ったら、楽しく捉えられて。そうしたら、子供もすぐに、ワーワーと言ってたけど、「ごめんなさい」みたいなことを。

 

 

(学長)子供でも誰であろうが、実は相手を育ててるようで自分が育ってるわけです。