204 自分が育てられてる

2016年から2017年にかけて、数名の受講生と佐藤康行学長と「満月教育研究会」を発足しました。

 

このブログでは、その時の記録をシリーズとしてお届けしています。

 

出来るだけ個人的な意見を交えず、その時の記録をご紹介していきます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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(受講生)相手を育ててる。

 

 

(学長)相手を育ててるようで、自分が育ってる。例えば、先生と生徒がいたら、先生が生徒を育ててるようで、実は生徒に育てられてるわけ。親は子を育てるようで、子に親は育てられてる。そのように捉えたら、ずうっと継続できるわけ。「こいつを育ててやろう」と思ったら、思うように育たないから腹も立ってくるし、「もういい」と思い出してくるし。でも、「自分が育てられてる」と思ったら、続けられるでしょう?

 

(数名)うん。

 

(学長)私の場合はそう。自分が育てられてると思ってる。

 

(受講生)どういう戒律がいいのかなと思ったから。育てられてる。三つぐらいあるといいのかなと。

 

(司会)一つは「満月だけ見る」とおっしゃいましたよね。あと二つぐらい。

 

(学長)Uさんの満月だけを見る。UさんはNさんの満月だけを見る。

 

(受講生)はい。

 

(学長)「自分が育てられてる」とお互いに思えば、もうちょっと謙虚になるでしょう? 

 

(受講生)はい。育てれられてるとは**。

 

(学長)「何で俺のこと分からないんだ」ってお互いに指さしたら、お互いに三日月を指さし合いしてるってことになる。だから、どんどん腹立ってくるわけ。満月だという前提でやればいいわけ。

 

(受講生)学長はよく講話の中でも「比べない」とおっしゃるじゃないですか。「せっかく真我に目覚めたのに、まだ自分の真我と相手の真我を比べて、また苦しむでしょう?」って。