152 何の問題もないという前提
スタートラインがそもそもどこなのか、それがすべてを決定しているのだと思えたお話です。
昨日の続きです。
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(受講生)いいですか? 人間関係が大事だって言われていて、その人間関係が苦手というか、障害みたいな子いるじゃないですか。病院に行くと、「それは障害です」と認定されちゃうような。その子たちっていうのは治るのかって。
(学長)例えば私も障害だよね。
肉体の障害ってあるんですね。
心の障害ってありますよね。
魂の障害はないわけです。
だから、魂として扱ってあげたら、障害はないわけです。
真我に障害はないよね。
(受講生)魂……。人間関係が、その子が……。
(学長)例えば、Mさんのご主人だって、障害といえば障害だったかもしれない。
そうでしょう?
I君も。
だって、普通じゃないんだから。
だから、障害っていえば障害。
でも、私は一切その障害を見てないんですよ。
彼は普通の男だっていうふうにしか扱わない、いかなる場合も。
障害なんか見てないから。
(受講生)でも、病院に行ったら、たぶん障害と診断されます、間違いなく。
(学長)そうでしょう?
そうだね。
間違いない。
私は一切前提が違いますから。
障害という前提と、別に彼は普通の男で何の問題もないというあれと、全く前提が違うわけ。
こんにちは。小学校・中学校に30年以上勤務経験があります。YS(佐藤康行)メソッドの「引き出す教育」で生徒さんたちが「本当の自分」を引き出した時に起きる効果と変化に感動の日々を過ごしております。よろしくおねがいします。