144 教育そのものの根幹とは

世の中にないものをしている

 

教育そのものの一番の根幹に触れています。

 

昨日の続きです。

 

***************

 

逆にブログでそういうことを記事で挙げていくことによって、どうやったら一番世間に見てもらえるかというところも分かってきて。一つは企業対応、性の問題というか、一致できない人の企業対応というのと、もう一つは学校関係とか教育という、うちの主人にしても、ゲイを治しに来た彼にしても、みんなだいたい幼少の時にそういうのを感じながら、そのまま大人になっていってるというのがあって。親にも言えないし、周りにも言えないし、みたいな。

でも、そういうことがきちんと対応できて、ちゃんと元に戻りますよということが当たり前の世界になったら、そんなことで悩む人もいなくなるしっていうのを、今後ブログでいろんな記事を書いたり。いかにどうやって世間に発信できるかっていうのは、技術的なことは王道のやり方をこの間教わってきて。そういうのはあらかじめ、例えば、こういうことで悩んでるのは、まず自分がどうなのかを知りたい人も多いから、自分は女性なのに男性が愛せないとか、逆もしかりだったり、自分の体にものすごい違和感を感じるとか言って、「一応世間ではこうなってますけど、ちゃんと生まれたままに戻りますよ」みたいなことの対応策まで書いてあるところはどこにもないんです、調べると。そういうことを今後あのブログでもやっていこうと。

 

(学長)そうね。

これをもとにして教科書を作るっていうことで、教育をやるというよりも教科書を作るって目的にしたらどう?

そうしたら、その教科書をもとにみんな勉強できるんじゃないですか? 

それぞれのブログでやっていって、それを教科書にするためのブログにしていけば、一石何鳥じゃないですかね。

私はその中で、今のところ三つに絞ってるんです。

一つは同性愛です。

二つ目は統合失調症。

もう一つは癌です。

このまんまこれを極めていって、これを教育に生かせたら、世界でどこにもない教育ができると思うんです。

統合失調症なんか、まさに教育そのものの一番根幹ですよ。

この三つに今絞ってるんです、私はとりあえず。

なぜかって、そういう人が来るわけです。

癌の人と統合失調症の人と。

ゲイのあれなんかも。

たぶん、そんなことできる人はいないだろうから、唯一のものになると思いますよ。