36. 本物の教育者としての常識(1) ~教育セミナーより抜粋~

2016年に開催しました教職員向け「佐藤康行 教育セミナー」より抜粋しております。

 

 

現役教職員が対象の教育セミナーを夫婦で開催した事があります。その時のリライトからの抜粋です。

 

どのシーンを切り取っても、奥が深くて佐藤学長が言わんとしていることが、ビシバシ伝わって来るのは何年経っても色あせることがありません。

 

「本物の教育者としての常識」シリーズでお届けさせていただきます。

 

「教育者」とは、学校などの教育機関のみならず、全ての全てに通じる事だと思います。「教育をしている者」は、実は「教育をされている者」だとも感じています。

佐藤学長に感謝!!

 

 

 

 

 

 

《佐藤康行》 わかりました、じゃあ、そこをやってみましょう。じゃあ、Kさんの言葉を借りてね、「教育者としての常識」というのはどういうことを言うのか皆さん、考えてください。「教育者としての常識」ってのは、どういう常識でしょうか。はい。

 

《受講生》 ズバリ言ってしまうんですけども、全国学力学習状況調査のテストの点を上げたり、QUの学級満足度調査の満足、神話的な学級っていうような判定をもらうっていう・・・。

 

《佐藤康行》 あのちょっといいですか。あの、今わたしが言ったのは、本当の「本物の教育者としての常識」なんです。本物の教育者がいたとしたら、その常識をちょっと考えてみてください。今、世間が「どう言っているか」って言っても、それはいくらでも出てくるだろうけど、それは三日月を相手にするんです。だから、その社会の教育に対する考え方の満月をやるんです。だから「本物の教育者としての常識」を考えてください、はい、どうぞ。真ん丸の方をやりましょう。

 

《受講生》すみません、先生の質問を誤解したんですけど

 

《佐藤康行》きっと誤解されたんと思うんですけど

 

《受講生》自分も、あの、みんなも大切にする。

 

《佐藤康行》「自分もみんなも大切に出来る子に」はい、そうね、はい。どうぞ。

 

 

(つづく)