43. 本物の教育者としての常識(8)

佐藤康行「教育セミナー1DAY」より

 

現役教職員が対象の教育セミナーを夫婦で開催した事があります。その時のリライトからの抜粋です。

 

どのシーンを切り取っても、奥が深くて佐藤学長が言わんとしていることが、ビシバシ伝わって来るのは何年経っても色あせることがありません。

 

「本物の教育者としての常識」シリーズでお届けさせていただきます。

 

「教育者」とは、学校などの教育機関のみならず、全ての全てに通じる事だと思います。「教育をしている者」は、実は「教育をされている者」だとも感じて居ます。

 

 

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《佐藤康行》

経験はいらないんです。経験が邪魔なんです。経験が三日月なんです。

だってこれまでしか出来ないという経験、そんなことは自分が経験したことで決めていることでしょ。

 

《受講生》

先ほど学長が言われたように経験すれば、こういうふうに出来るようになるからやらせようと言ったんですけど、それの経験とはまた別の事ですか?

 

《佐藤康行》

ああ、その満月を顕すためにです。現実に顕せる、満月から出発なんです。満月に近づくんじゃなくて、満月、もうこの子は完璧、素晴らしいんだと、完璧で素晴らしいんだということから、それを顕すため、とちょっと違うわけ。そこに近づくんではないんです。

 

《受講生》

わかりました。

 

《佐藤康行》

これわかるでしょ、違い。それからですね、じゃぁ、この話をします。

そうは言っても悪いことをする人間がいるじゃないかと。それはそのまま見過ごしてどうなんだってあるでしょ。これ覚えていてください。

 

あのぉ、善悪ってね、性善説、性悪説がある。で、真我は性善説なのかどうなのか、どういうふうにしたらいいのかとかね、人間関係は、例えばみなさんの教育者なんか子供を、人間関係として子供と接するには善で行ったほうがいいわけ。善というのは、まさに満月で。

 

で、じゃあ、「悪いものを修正するにはどうしたらいいか」ということなんだね。それはシステムは性悪説でいったらいい。システムは。

 

例えば金庫にお金を入れるでしょ。で、ハンコを押す時にはやっぱり気をつけなければいけないでしょ。で、家に戸締りをするじゃないですか。あれは性悪説なんです、でしょ?

 

性悪説なんだけど、本当は善なんです。相手に悪い気を起こさせないという。相手に道を間違いさせないという善なわけ。だからシステムは人間じゃないから、人間じゃないから、システムは性悪説でいいわけ。家に鍵を掛けたからって隣の人を疑ったとか、そんなんじゃないでしょ?

 

金庫にお金を入れたからって誰かを疑ったわけじゃないでしょ。システムは性悪説の方がいいわけです。人間関係は性善説で言ったわけ。

 

だから当然その子供に、だから、きちっと規律とかそうものを教えるのは大事だと思います。

約束はこうやって守りましょって。